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東京地方裁判所 昭和32年(ワ)7671号 判決 1960年9月08日

原告 島治実

右訴訟代理人弁護士 高橋義一郎

伊沢英造

被告 佐藤次夫

被告 ニユースターこと有限会社 新星

右代表者代表取締役 浦野信雄

被告 浦野信雄

右三名訴訟代理人弁護士 滝沢国雄

大崎巌男

右訴訟代理人弁護士 鈴木秀雄

主文

被告有限会社新星は、原告に対し、別紙物件目録二の(二)記載の建物を明渡し、かつ、昭和三十二年五月一日から右明渡ずみに至るまで一ヵ月金一万六千円の割合による金員を支払え。

被告佐藤次夫は、原告に対し、昭和三十二年五月一日から昭和三十四年六月十日まで一ヵ月金一万五千円の割合による金員を支払え。

原告その余の請求は、いずれも棄却する。訴訟費用は、これを二分し、その一を被告有限会社新星の負担とし、その余は原告の負担とする。

この判決は、第一項のうち金員の支払を命ずる部分及び第二項に限り、仮に執行することができる。

事実

≪省略≫

理由

第一原告の第一次請求について

(争いのない事実)

一、神田正司及び被告佐藤次夫が原告から、原告主張の建物(部分)を賃料その他原告主張のとおりの約定で賃借していたところ、その建物が昭和三十二年四月十二日、火災にあつたことは、当事者間に争がない。

(建物は火災により滅失したか)

二、原告は、前記賃借中の建物は、前項の火災により全焼し、これにより、前記賃貸借契約は、終了した旨主張する。

しかして、賃貸借の目的である建物が火災にあつたため賃貸借契約の消滅をきたすというためには、その建物が火災により建物としての効用を全く失つてしまつたか(建物全部が焼失した場合がその適例である。)あるいは、社会通念上、これと同視すべき状態に立ち至つたことを要するものと解するを相当とする。けだし、このような場合に、なおかつ、契約当事者を賃貸借契約の拘束下におくことは無意味でもあり、当事者、ことに賃料支払義務を負担とする賃借人に酷だからである。換言すれば、火災により、たとえ、建物が損傷しても、なお、建物としての効用が相当程度残存し、簡単な補修により従前のそれと、ほとんど変らない効用を発揮しうる状態であれば、これをもつて賃貸借契約の終了を、必然的に招来するものとはいいえないものと解するのが相当である。(したがつて、本件におけるように、賃借人が火災による損傷をある程度補修し、これを目的とする賃貸借に支障なしとして、その存続を希望し、かつ、その負うべき義務を履行することを拒まない場合において、賃貸借契約が従来どおり存続することにより従来の立場に何の変化もない筈の建物の賃貸人が、偶発的な事故を機会に、建物が焼けたからといつて、それだけの理由でその明渡を求めるのは、いかに建物不足の今日とはいえ、随分と奇妙なことではなかろうか。)

いま、以上のような見地に立つて本件を見るに、成立に争いのない甲第一号証の二、同第六号証の一、二、同第七号証、証人吉沢直人、三上敏行、佐藤弥市及び神田正司の各証言(ただし、証人神田の証言については第一、二回。)並びに被告佐藤次夫本人尋問の結果と検証の結果を総合すると、原告所有の建物は、前掲の火災により、その二階部分は、ほとんどが全部焼失し、神田正司及び被告佐藤が賃借していた階下部分も天井約八坪が焼け、内壁(といつてもベニヤ板張)の一部、間柱の一部などが焼け、火災による損傷の程度は、被告佐藤の賃借部分の方がひどく、床上一米位より上部は、すべて火をかぶつた模様であるが、神田の賃借した部分は、入口附近の天井約二坪が焼け落ちたほか、とくに著しい建物の焼損はなく、両者とも十万円内外の修理費を投じて、直ちにこれを補修し、被告佐藤はカメラ材料店として、神田はバーとして、同年五月一日頃から、それぞれ営業に使用している事実を肯認しうべく、この事実によれば、前記建物のうち、少くとも階下部分は、前掲火災により、いまだ建物としての効用を失い、これを目的とする賃貸借契約の終了をきたす程度には、損傷するに至らなかつたものと認めることができる。もつとも、甲第六号証の一から三、同第七号証、同第八号証の一から三の記載証人吉沢直人の証言中には、本件建物の階下、とくに、被告佐藤の賃借部分は全焼した趣旨の記載ないしは供述があり、こうした場合における「全焼」とは可燃性建物については、その七十パーセント以上を焼損したことを意味するものであることは、証人吉沢直人及び伊沢英造の各証言により、これを窺うことができるが、前掲甲号各証の記載及び証人吉沢直人の供述部分は、消防担当者または保険会社としての立場から、本件建物の全体(階上階下を含めて)を総合的に考察して「全焼」と結論していることが推認されるから、これらの記載ないし証言だけで、本件で問題となつている建物部分が、その七割以上を焼損したものとはもち論、その建物の効用を全く失うに至つたものと断ずることはできないし、その他、原告の挙示援用するすべての証拠資料によつても、いまだ、前認定を覆えし、原告が主張するように、本件建物部分が、前掲火災により滅失したものと認めることはできない。しかして、神田及び被告佐藤が、それぞれ独立の建物として賃借した部分が滅失したものとは認めがたい以上、その賃貸借の対象となつた階下部分以外の部分、すなわち、二階部分がどの程度損傷したとしても、二階部分の損傷をもつて賃貸借の目的物の損傷と見ることは、衡平の理念に反する。原告は、階上階下を含む建物全体として考察して、建物本来の効用を全く失つたと主張するもののようであるが、そうした考え方の肯定されるのは、いわゆる間貸のように、建物の一部を、建物の一部として使用する目的で賃貸したような場合であり、本件におけるような賃貸借の型態においては、滅失かどうかだけを、建物全体として考察することは当を得たものではない。けだし、神田及び被告佐藤が原告から賃借したのは、物理的には、まさに建物の一部であるが、契約当事者の真意においては、独立の建物の賃貸借と何ら選ぶところはないこと、本件口頭弁論の全趣旨から、これを窺うに十分だからである。

三、以上説示のとおりであるから、被告佐藤次夫及び神田正司に賃貸した部分の建物が、昭和三十二年四月十二日の大火により滅失し、該賃貸借契約が終了したことを前提とする原告の第一次請求は、爾余の点について判断するまでもなく、理由がないものといわざるをえない。

第二原告の第二次の請求について

(争いのない事実)

一、原告が別紙物件目録一、二の各(一)記載の宅地三十四坪九合六勺(実測三十七坪九合六勺)上に建築した木造トタン葺二階建建物建坪二十坪、二階二十坪のうち、階下右側五坪を被告佐藤次夫に、昭和二十六年中、期間の定めなく、賃料一ヵ月金七千円(その後、金一万五千円に改訂)、毎月末払の約で賃貸し、階下左側十四坪を神田正司に、昭和三十年十一月一日、期間を向う一ヵ年(のちに期間の定めのないものとなる。)、賃料一ヵ月金八千円(その後、金一万六千円に改訂)、毎月末払の約で賃貸したことは、当事者間に争いがなく、別紙物件目録一の(二)及び二の(二)記載の各建物が原告の所有に属することは、被告らの認めて争わないところである。

(被告会社の占有権原について)

二、さきに神田正司が原告から賃借した建物部分は、昭和三十二年四月十二日、被告佐藤次夫の賃借した部分及びその余の全建物とともに、火災にあつたが(この事実は、当事者間に争いがない。)、若干の修繕を加えたうえ、この建物すなわち、別紙物件目録二の(二)記載の建物において、同年五月一日頃から被告会社がバーを経営していることは、前記第一次の請求の項において認定したとおりである。

被告会社は、この点に関し、被告会社はその実質において、該部分の賃借人である神田正司の個人経営にほかならないから、被告会社の占有は、形式的なものにすぎないとか、不法でないとか、いう趣旨の主張をするが、証人神田正司(第一回)及び高橋昭市の各証言によれば、被告会社は昭和三十一年六月設立登記を了し、スター、または、ニユースターという屋号で、十数人の従業員を擁して、その名において、カフエー、またはバーを経営していることが肯認されるから、たとえ、その営業による利益ないし損失が、すべて神田正司のそれに帰し、被告会社の役員は単に名目だけの役員にすぎないとしても、そのことから、直ちに被告会社の人格を抹殺し、被告会社の占有がそのまま神田正司の占有であるということはできないことは、法人の性格について、世上存在するどんな学説をとるにしろ、きわめて明白なところということができよう。けだし、法人の人格は、法人の活動による経済的利益の帰属とは、全く別個の事がらだからである。さらに附言するならば、被告会社を設立して営業の主体とする形式をとつたことが、証人神田正司が、その第二回尋問において供述するように、税金の関係であつたにせよ。あるいは、しばしば、いわれるように、他の債権者からの追及を免がれるためであつたにせよ、会社を設立することによつて、これらの目的を実際的に達成しようとするものであるならば、それだけでも、すでに個人とは別個の人格ある存在として扱うことが、社会的、経済的にも正しいことであろう。また現に、本件においては、成立に争いのない甲第五号証の二により明らかなように、神田正司は、同人を債務者とする本件建物に対する執行保全の仮処分の執行に当り執行吏に対し、本件における主張とは逆に「本件建物におけるバーの実際上の経営は、被告会社で目的物件の占有者は被告会社であり、自分としては何らの占拠関係はない」旨陳述し、その陳述が事実と認められ、同人に対する執行は不能となつている。証人神田正司は、その第二回尋問において、右に引用した陳述は、執行調書作成者の誤記であるかのような口吻をもらしているが、右陳述こそ、まことに理にかなつたいい分であり、これを誤りであるかのようにいう供述は、はなはだ力弱く、かつ非論理的であり、到底当裁判所の全面的信用をおくに値しないものである。なお、被告らは、被告会社の本件建物部分の使用について原告の承認を得たかのような主張をするのが、証人神田正司すら、これを否定しているのであるから、その採用しがたいこと、いうをまたない。

したがつて、被告会社が本件建物を使用して営業することのできる権原については、何らの主張も立証もないのであるから、被告会社の前示建物部分の占有は、法律上正当な権原を欠くものと断ぜざるをえない。

(被告浦野信雄の占有について)

四、甲第二号証の二によれば、執行吏は、昭和三十二年八月二十一日当時、前項掲記の建物部分は、被告会社と被告浦野信雄の共同で占有するところであつたと認定したようであるが、この認定は証人高橋昭市及び神田正司(第一、二回)の各証言と比照すると、必ずしも事実に符合するものとは認めがたく、他に、同被告が右建物部分を個人としても、被告会社の代表者としても、占有している事実を認めるに足る証拠はない。もつとも、右建物における営業の許可名義人が同被告であることは、被告らの認めて争わないところであるが、単に行政官署に対する営業許可の名義人であるからといつて、そのことから直ちに本件建物の占有者であるということはできない。両者は、事の性質上、全く別個のことだからである。

(被告佐藤次夫に対する請求について)

五、被告佐藤次夫が、さきに、原告から賃借していた建物部分が火災により、相当損傷したが、同被告は、直ちにこれを補修して同建物、すなわち別紙物件目録一の(二)記載の建物において、現に営業していることは、前説示のとおりであるから、この建物に関する原告と同被告との間の前示賃貸借契約は、火災による損傷にかかわらず、継続していたものと認められるところ、原告は、右賃貸借契約は、解除、または、解約の申入による期間経過により終了した旨主張する。よつて、以下、これらの主張の当否について判断する。

(契約の解除について)

一  原告が、被告佐藤が罹災建物を原告に無断で内外にわたり、補強し、これを従前の建物と変つていないと抗争することもつて、賃貸人たる原告に対する不信行為であるとして、これを理由に同被告との賃貸借契約を解除する旨の意思表示を同被告にしたことは、関係当事者間に争いがない。

しかしながら、原告及び被告佐藤次夫の各本人尋問の結果(前者については第一回)並びに本件口頭弁論の全趣旨を総合すると、前記火災直後、原告は、もつぱら、その敷地の明渡を求め、罹災建物の修理などは、たとえ一時的のものにせよ、到底これをがえんじない状況であつたことが認められる。このような状況下において、営業の速やかな再開を熱望する被告佐藤において、原告の承認を得ないまま、焼損した建物の補修(原告から見れば、あるいは、度を越したものであつたかもしれないが、)をあえてしたからといつて、はたして、そのことは、客観的に見て、そんなに非難に値する行為であろうか。また、この火災によつて賃借建物が滅失し、同被告の賃借権は消滅したとする原告の主張を同被告が強く争つたからといつて、これまた、非難に値するであろうか。これこそ、まさに、同被告の権利擁護の主張であり、これをもつて、賃借人としての不信行為であるときめつけることはいささか当を得たものでないことは、あえて、多くの説明を要しないところであろう。たとえ、同被告のこれらの行為により、賃貸人としての原告が不快不信の念を同被告にいだくに至つたとしても、このような、いわば単なる感情的な問題が、賃貸人と賃借人との間を律する規範として妥当するに値するものでないことは、原告においても、これを了知するにかたくないのではなかろうか。(万一にも、原告において、以上のようなことで直ちに賃貸借契約が解除できるものと考えているのなら、小さからぬ誤解というものである。)

したがつて、被告佐藤との賃貸借契約が原告主張の日、同被告の不信行為を理由に一方的に解除されたことを前提とする原告の主張は、到底当裁判所の採用しがたいところである。ただ、同被告に対し、昭和三十二年五月一日から昭和三十四年六月十日まで、約定賃料であること当事者間に争いのない一ヵ月金一万五千円の割合による賃料の支払を求める部分は、被告佐藤において、これを支払つたことについて、何らの主張も立証もないから、理由があるものということができる。

(解約の申入について)

(二) 原告が東京都においても最も地価の高い場所であり、かつ、防火地区である本件土地上に焼け残つた建物に補強工作をした本件建物を放置することは、土地の利用上大きな損失であり、他面、防火、都市美観の上からも、適当でないので、原告においてこれを取りこわし、附近の土地を合せた地上に高層ビルを建築すべく、その建設準備も着々進んでいるから……ということで、昭和三十二年八月十日、被告佐藤に対し解約の申入をしたことは、当事者間に争いがない。

しかして、本件建物の所在の土地附近が一般に地価の高い東京都においても、古くから「土一升、金一升」といわれるほど地価の高い土地であることは、公知の事実であり、このような土地に、本件建物のような平家の建物を存置することは、土地の利用上、決して最良のことではなく、原告のいうように、高層ビルを建設することが、原告により多くの利益をもたらす公算の大きいことは、容易に推察しうるところであるが、「ビルを建てた方が儲かるから、平家の家で取りこわしたい」というのは、たとえ、それが貧弱な建物であるにせよ、余まりにも住居者のことを考えない一方的打算というほかはなく、極論すれば、そのようなことが、そのまま、いつでも通るとしたら、土地所有者の利益追求の犠牲となつた非土地所有者である居住者は、ついには、身を置くところもなくなるに至るのでなかろうか。このような土地所有者の利益追求が、明渡の正当事由として是認されるためには、もつともつと多くの事情、とくに差し迫つた事情が附加されなければならないものと考える。また、本件建物の防火上、都市の美観上好ましくないものであることは、恐らく、被告らも認めるところであろうが、それらの点は、消防なり、都市の美観保持の立場から規制さるべきことであり、原告が、これを理由に私法上の賃貸借契約を解約しようとするのは、議論の側面を混同するものである。(もし、本件建物が消防の見地から、関係法規に照らして、存在を許されないものであるならば、その筋において果断に処置を講ずべきであろうし、原告が関心を寄せる美観の点も、原告が、被告らとの係争中であることを、しばらく別として、美観の保持に積極的に協力するならば、本件のような焼け残りの建物といえども、ある程度美観を保つことは、必ずしも不可能ではなかろう。)しかも、原告本人尋問の結果(第二回)及び本件口頭弁論の全趣旨によれば、原告の計画した高層ビルの建設という事業も、関係土地の権利関係の調整等が容易でないため、立ち消えとはいえないまでも、はかばかしい進捗を示していないことが窺えるのであるから、原告主張の事実は、もとより、解約申入の正当事由とするに十分でなく、他に右正当事由を肯定するに足る資料は全くない。

したがつて、正当事由に基く解約の申入を前提とする原告の請求は、進んで、爾余の点について判断するまでもなく、理由がないものといわざるをえない。

第三むすび

以上詳説したとおりであるから、本件において明らかにされた事実関係のもとにおいては、原告の請求は、第二次の請求のうち主文第一、二項掲記の限度は、正当として認容することができるが、その余は、いずれも理由がないものといわざるをえない。

よつて、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条、第九十二条、第九十三条を、仮執行の宣言(ただし、建物の明渡を命ずる部分については、関係当事者間の事情に鑑み仮執行の宣言を付さないこととした。)について同法第百九十六条を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 三宅正雄)

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